人工衛星といえば、アルミやチタンなどの金属でできた機械を思い浮かべる人がほとんどでしょう。ところが日本では、木で作った人工衛星が実際に宇宙へ送り出されました。京都大学と住友林業が共同で開発した「LignoSat(リグノサット)」です。名前はラテン語で木を意味する「Ligno」と、人工衛星を意味する「Satellite」を組み合わせたもので、木造の人工衛星としては世界初の例となりました。小さな木の箱が宇宙へ向かうというニュースは、打ち上げ前から国内外で大きな注目を集めました。なぜ最先端の宇宙開発に、人類が最も古くから使ってきた素材のひとつである木が選ばれたのでしょうか。
金属の衛星が抱える見えない問題
きっかけのひとつは、増え続ける人工衛星がもたらす環境問題です。宇宙ゴミを増やさないため、役目を終えた小型衛星は大気圏に再突入させて燃やすことが国際的なルールになっています。ところが金属製の衛星は、燃える際にアルミナと呼ばれる微粒子を生み出します。この粒子が上空に漂い続けると、地球の気候や通信に悪影響を及ぼすおそれがあると指摘されています。
数万機規模の衛星網が計画される時代に、この問題は無視できません。一方、木は再突入の熱で燃え尽き、主に炭素や酸素、水素に分解されるため、有害な金属粒子を残しません。木造の衛星が広まれば、宇宙開発が地球の大気に与える負担を減らせる可能性があるのです。
宇宙で木は劣化しないのか
とはいえ、宇宙は木にとって過酷な環境です。真空、強い放射線、激しい温度変化、そして物質の表面を削り取る原子状酸素にさらされます。地球の低軌道では、日なたと日陰を行き来するたびに、温度がおよそマイナス100度からプラス100度の範囲で変化します。そこで研究チームは衛星を作る前に、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」の船外で、約10か月にわたって木材の試験片を宇宙空間にさらす実験を行いました。
候補になったのはヤマザクラ、ダケカンバ、ホオノキの3種類です。地上に戻った試験片を分析したところ、割れや反りといった目立った劣化は見られず、木材が宇宙でも長期間存在できる可能性が示されました。最終的に衛星の材料には、加工しやすく寸法が安定しているホオノキが選ばれました。
ねじも接着剤も使わない伝統の技
約4年をかけて完成したLignoSatは、一辺10センチの立方体をしたキューブサットと呼ばれる超小型衛星です。機体のパネルはホオノキでできており、組み立てにはねじや接着剤を使わず、日本の伝統的な木工技術である組み接ぎが用いられました。組み接ぎは、木材の端に凹凸を刻んで互いにかみ合わせる技法で、日本の家具や建築で古くから受け継がれてきました。接着剤は宇宙の真空中で成分が気化し、周りの機器に付着するおそれがあるため、木だけで組み上げる方法は宇宙向けの設計としても理にかなっています。衛星はNASAとJAXAの厳しい安全審査を通過し、宇宙で木材を使うことが公式に認められた初めての例にもなりました。
木だからこそできること
木造衛星の利点は環境面だけではありません。木は電波を通しやすいため、通信用のアンテナを衛星の内部に収めることができます。金属の衛星では、アンテナを外に広げるための展開機構が必要になり、それが故障の原因になることもあります。アンテナを内蔵できれば構造が単純になって信頼性が高まり、外に突き出す部品がないぶん空気抵抗も小さくなります。また木は、同じ強さを持つ金属と比べて軽く仕上げられる場合があり、打ち上げ費用を左右する機体の重さを抑えられる可能性もあります。
LignoSatの主な任務は、宇宙空間で木の箱の内部に生じる温度の分布やゆがみを測り、木材が衛星の材料としてどこまで使えるかを確かめることでした。
通信が届かなかった1号機
LignoSatは国際宇宙ステーションに運ばれ、「きぼう」から宇宙空間に放出されました。世界各地のアマチュア無線家も衛星からの電波を待ち、研究者たちは運用拠点の京都大学で交信を試み続けました。しかし、放出後に期待されていた地上との通信は確立できず、予定していた観測データを受け取ることはできませんでした。衛星はその後も地球を回り続け、放出から約4か月後に大気圏へ再突入しました。
データが得られなかったのは残念な結果ですが、プロジェクトの報告では、木造の機体が宇宙空間で壊れずに存在できることは示されたとしています。厳しい審査を通過し、実際に宇宙へ送り出されたこと自体が、木を宇宙の材料として扱うための大きな一歩でした。
2号機と月や火星での木の利用
研究はすでに次の段階に進んでいます。2号機の試作機では、木造の機体の内部にパッチアンテナを組み込むシステムが開発されました。研究チームは将来、木造衛星によって地球の低軌道を回る防災用の衛星ネットワークを作ることを構想しています。燃え尽きて環境への負担が少ない木造衛星は、多数の機体を入れ替えながら運用するネットワークにも向いていると考えられています。
視野は地球の周りにとどまりません。研究チームは月や火星で樹木を育て、木材を利用する未来も見据えており、気圧を地上の10分の1まで下げた環境で木を育てる実験装置も開発しています。
古い素材が宇宙の未来を変える
木は人類が数千年にわたって家や道具に使ってきた身近な素材です。その木が、宇宙ゴミや大気への影響といった現代の宇宙開発の課題に答える材料になるかもしれません。1号機は通信という壁にぶつかりましたが、森林資源が豊かで木工の技術を受け継いできた日本ならではの挑戦であることは間違いありません。次の木造衛星が宇宙から最初の信号を送ってくる日が、今から待ち遠しく感じられます。